中学時代の思い出を6回に分けてご紹介します。ここからは暗い話が続きます。中学生時代の経験なくして、わきぺは語れない感じなので出来れば読んでいただきたいです。
休み休み読んでいただければと思います。
ワキガ人生の始まり
私は体を動かすことが好きだったので、中学生になると迷わず運動部を選びました。
運動部では毎日汗を流し、楽しい中学校生活を送っていました。
中学2年生のある日(たぶん6月ごろ)、いつものように部室で着替えをしてると先輩に「くさいから8×4(エイトフォー)した方がいいよ」とサラッと言われました。
悪意もなくただ教えてくれた感じでした。
一瞬時が止まりましたが汗くさかったのか。と開き直り、「すみませんでした!」と返事を残して急いで脇にエイトフォーを吹き付けました。
この時点ではワキガ臭だと気づいていませんでした。
今思えばこれが私のワキガ人生の始まりでした。
地獄の中学校生活
これから地獄の中学校生活のはじまりです。
制服が夏服にかわると、半袖になります。ワキガ臭が広がりやすくなって、机の前後左右の子にクサイと言われるようになりました。
それでもまだ、どこがにおっているかさっぱりわかりませんでした。
家族にも相談しましたが「くさい?どこが?」みたいに言われて、結局わかりませんでした。
ワキガ臭・体臭は自己認識しにくいと言われますが、私は自分のニオイを認識できずに、クサイ=足臭か口臭?としか考えていませんでした。
なので、的外れなにおい対策に力を入れてしまい、だんだんいじめがエスカレートいきました。
いじめでどんなことをされたのか書き出してみました。
●友達が離れていき、ひとりになった。
●常にくさいと言われた。鼻を押さえる仕草や咳き込まれたりした。
●私の机だけ周囲と離された。
●授業中に消しカスやごみを投げられるようになった。
●上履きを泥まみれにされた。たまに上履きが違う位置に移動されていた。
●廊下を歩いていると足を引っかけられ、こけてしまい笑い者にされた。
●常に下を向いて顔を伏せるようにして行動していました。
●部活動で他校と練習試合を頻繁に行っていたので、他校の生徒にも臭い奴として知られた。
細かいことを上げれば、まだまだありますが、この辺にしておきます。
ワキガーだと知らないときの対策
2.靴に消臭スプレーをする。
3.足の汗を吸うように布を足の指に挟む(笑)
なんと的外れな…。長い間、無防備な脇をさらしていたなんて。
周りの子に申し訳ない。
休み時間に保健室に行って、これらの対策をベットのカーテンを閉めて行っていました。
今思えば保健室の先生も「足じゃなくて脇だよ」ってどうして教えてくれなかったのかな?保健室の先生も気づいてなかったのかな?・・・わからんな。
自分に変化が出てきた
イジメられるようになって自分に変化が出てきました。
●授業そっちのけで、周りのコソコソ話に耳を傾けるようになった。
●何気ないの音が「くさ!」と言われているように感じた。
●人の鼻をすする音がこわくなった。
●ごはんが入らなくなり、痩せてきた。
●登校時間ギリギリに滑り込み登校するようになった。
●家でずーっと泣くようになった。
●夜、寝れなくなった。
●学校に行くのがこわくなった。
自分がワキガであると知る
ある日の晩、母からあなたが「くさい」と言われる原因はワキではないかな?と伝えられ唖然としました。
それまで足か口の対策しかしていませんでした。確かに、言われてみれば脇がくさいのかもと納得しました。
これがワキガの怖さです。自分自身のニオイはわかりにくい。他人の指摘で気付くものなんですよね。
ところで、私のワキガ臭のわからなかった母はどうやって私がワキガだと知ったのでしょうか。
どうやらママ友から脇がクサイようだと教えらえたようで、母もその時にはじめて私がワキガーだと知ったのです。
私はそれまでに何度か幼馴染や仲の良い子に個別で相談していました。
勇気を振り絞って「私ってくさいかな?」と聞きました。
しかし、誰一人として「くさい」とは教えてくれずに、ただ離れていきました。
指摘しにくかったのか、ただ単に関わりたくなかったのか。
ワキガーだと知ってからの対策
1.ラヴィリンを3日置きに塗る。
2.モズクかめかぶを毎朝食べる。
3.脇を消毒液で拭く。
4.緑茶を飲む。
重度のワキガーに加え、成長期の私の脇には全く効きませんでした。
美術の時間に教室の隅で絵を描いていると、教室の反対側の隅にいた子が「ここまでにおって来るよね」という会話が聞こえました。
その子のところまでは結構距離があったのでさすがに自分でも「え?そこまでにおっているの⁉」とドン引きしました。
たぶん、私は重度ではなく超重度だと思う(笑)
不登校の道を選ぶ
結局は精神状態がおかしくなった私を母が見かねて、「今日から学校に行かなくてもいいよ」と言ってくれました。驚きました。
最初の頃は頑張れ!と言って背中を押していたのに…。
おろらく両親は私の精神が崩壊していく姿を見て、いよいよ危ないと思ったのでしょう。
それでも風邪以外で学校を休んだことのない私はズル休みをするなんてできない。
と考え必死に通っていました。
その頃、不登校生は学校全体で2人と少なく不登校の意味がわかりませんでした。
不登校になってはいけないと思っていました。
ついにはその気力もなくなり不登校の道を選びました。
学校を休むと決めたのに、学校を休むと自分の人生が取り返しのつかないことになりそうで、休んでも苦しい気持ちになりました。
学校に行っても行かなくても地獄だった。