【中学生時代②】わきがとイジメ

中学生時代

前回の記事で不登校の道を選んだところまで紹介しました。

ひきこもってからのどうだったかを書いてみました。

部屋に閉じこもったのは約3か月

完全に部屋に引きこもっているときに何をしていたかというと。

いじめた人の名前を紙に書きその紙をクッションに張り付けて殴っていました。

恨み節炸裂。これが私のストレス発散となっていました。そして、1日中ずーっと泣いてました。

この頃は対人恐怖症だったので、生涯外に出れずに死ぬのかと将来を悲観していました。

さらに、この頃はま家族すらも信じれなくなっていした。家族も私の事をクサイと思っているんだ。

なのに「あなたは、くさくない」と言って嘘をついて学校に送り込もうとしている。

学校がどんなにつらいところか知らないくせに!と家族に敵意を持っていました。

常に誰かが家にいた

精神状態がおかしい私をみて、家族は相当心配していたそうです。

これは社会人になってから母から聞いた話です。

母:「わきぺに万が一のことが起こるかもしれないと、どこかで思っていたから、家族の誰かが必ず家にいるようにしてたんだよ」

私:「そうだったんだ。うーん。でもさ。私、当時は死にたいと考えていたけど、家族には死にたいなんて言ったことなかったと思うけど」

母:「うん。わきぺの口からは聞いてない。でも、その当時のわきぺを見ていると死ぬかもしれないと思ってコワかった。ホントにそれどころじゃなかったんだから。今では考えられないけど」

私:「そうだったね」

母:「あんたが一番苦しかっただろうけど、家族も一緒に苦しんだんだよ。お父さんだって、わきぺの顔を見るのがツライって言ってたし。家族で引っ越しをするか話し合ったし、必死になって動き回っていたんだよ」

私:「ごめん。ありがとう」

私たちVS学校

イジメられるようになってからずっと両親は、主犯格の生徒の家族や校側と話し合ったりして、なんとか学校に通えるように動いてくれていたようです。

私が部屋にこもっているときに教頭先生・生徒指導の先生・担任が何度も家に来て両親と話していたのを覚えています。

ちなみに担任の先生は若い女性だったのですが、私のいじめがきっかけで仕事の自信を失くしたようでした。

他の先生はうちによく来ていたのですが、担任の先生は家にはほとんど来ませんでした。

今、ふっと思い出しました。

ある日、保健室に行くところを生徒指導の先生に止められました。

生徒指導の先生:「A先生(担任の先生)もお前のことで相当悩んでいるんだ。お前も頑張れよ。」的なことを言われました。

もしかして、少し違う言い方をしていたかもしれませんが、この時の私は学校や大人に対して不信感しかなかったので、私に対する苦情にしか聞こえなかった。先生の言葉に

私:『いや。これ以上どう頑張ればいいんですか?あなたの評価につながるから私に登校してほしいだけなんでしょ』と言ってやり気持ちになりました。

一生の後悔

いつだったか忘れましたが強烈な思い出があります。

それは、クラス全員と各クラスの先生方の前に立って、「私をいじめないでください」と訴えた事です。

はっきり思い出せないのですが、先生からの提案でした。嫌だったけど少しでも状況が変わればと思って勇気を振り絞ってクラスメイトの前に立ちました。

お察しの通り、これを訴えたからって現状は変わるわけもなく、さらに溝が深まりました。

むしろ、私はいじめられてかわいそうな人間なんです。

だから私に優しくしてください。と媚びてお願いしているような、訴えでしかなかった。

これはホントに無駄だった。

悲しかった。

みんなの目線が怖かった。

先生たちもこれが良い方法だと考えてのことでしょうが、結果、さらし者にされ裏切られた。ような気持ちになりました。

この気持ちは一生消えないと思います。

なんであんなことをしたのか・・・思い出してる今でも涙が出る。

もしあなたの人生で後悔していることは何ですか?と聞かれたら、迷わずコレを言うな(笑)

部屋にひきこもって

完全に引きこもっている間に何をしていたかの記憶はあいまいです。

人間の脳は良くできていますよね。「つらい」を超える記憶は簡単に思い出せないようになっているようです。(私が勝手にそう思っています)

部屋にこもってさんざん泣く生活をした後、涙が枯れてゲーム生活をするようになりました。

1日中ゲームをして、夜中にもゲームをしていたので昼と夜が逆転した生活を送っていました。

この時家族と会話はあまりしていませんでした。私には仲の良い兄弟がいるのですが、この兄弟とも会話をしていませんでした。

家族ですら信じられなくて自分を責め続けた結果、本当の「ひとり」になった気がしていました。

完全に自分だけの世界で生きていました。

部屋から出てリビングへ

ゲーム生活を続けると、ゲームに飽きていました。

この頃から、少しずつリビングに出れるようになりました。

久しぶりにリビングに入ったときハッキリ覚えています。

外の明かりが差し込んでリビングが眩しくて目がパチパチしました(笑)

ここでも衝撃的な思い出があります。

長い間、部屋にこもっていたせいで、なんと「歩き方」を忘れていたのです!

ホントです。いやいや、歩き方を忘れることなんてあるの?と思いますよね。

現実にあるんです。(笑)

母に「どうやって歩くかわからない」と訴えると、それを聞いた母が私の手を握ってくれて、右出して左出して1・2・1・2と歩く練習を手伝ってくれました。

まっすぐ立つのですらフラフラで椅子につかまり立ちしていました。

・・・文字にするとなかなかにヤバイですね(笑)

プリントを届けてくれたクラスメイト

学校を休んでいる間、授業で配布されるプリント等はクラスメイトが学校帰りに家まで持ってきてくれました。

とても、ありがたかったです。

当時の仲の良い子は来てくれず、クラスの委員長が先生に頼まれてきているようでした。

これもちょっぴり寂しかったですね。会いにくかったのもあったのかもしれませんね。

プリントは自分で受け取ることは1度もしませんでした、顔を出すのがこわかったから。