前回、高校2年生になって大事な友達ができたて私の世界が広がったお話をしました。
今回は高校3年生についてご紹介します。
3年生になって
この通信制高校では3年間クラス替えが無いので、3年生になって同じメンバーでした。
中には単位が足りなくて3年生に上げれない子もいました。3年生になったら1クラス20人ぐらいだったと思います。
この学年になると嫌でも進路の話になります。
私は英語に興味があったので大学で英語を学びたいと考え大学進学を希望していました。しかし、私のこの学力。
どこの大学が受け入れてくれるのか。そこが問題でした。
好奇心から海外へ
AちゃんとTちんは英語が得意で、海外に行った経験から2人の話はとても魅力的でした。とにかく楽しそうに話す姿にそそられました。
これに影響され、私はイギリスのアンティーク雑貨やインテイリア、建築の本を見まくりました(字を読むことが苦手)。
英語はNHKラジオ講座やCDを聞きまくっていました。
そして、どうしても自分の目で異文化に触れたくて、親に海外へ行きたいとお願いしました。
すると母が留学経験者のある娘さんを持つ知人がいたので、その方から資料をもらってきてくれました。
資料請求をして自分で会社を決め、何度かその会社に出向いて、いざ2週間イギリスにホームステイをしました!
恐いもの知らずは何でもできるんですね~。初海外、初飛行機(笑)
この頃は、対人恐怖症はまだ少しありました。でも、その恐怖を上回って海外への興味が断然強かった。
苦い思い出
ロンドン郊外のシングルマザーと娘(同い年)、息子の家にお世話になりました。
先に結果から言うと、あまり楽しめませんでした(笑)
まだ、完全に心が修復してなかったからかもしれません。人に対して正しいか正しくないかみたいな目線で見ていました。
ホストファミリーとうまく溶け込めませんでした。
高校生の娘にたばこをすすめるホストマザーを見るとさらに嫌いになり。
毎日、娘のボーイフレンドが遊びに来ててお風呂場で遊んでいることも気持ち悪かった。
弟の友人らがリビングをたまり場にしていて、ヤジを飛ばされたが何と言っているのかわからなかった。
学習プログラムに勉強はこの母親に教えてもらうようにしていたので、スクールを選択しなかったのは間違いでした。
スクールに出て他の人と接する機会をつくるべきでした。
国際電話で、「帰りたい」と弱音を吐いてしまったので母はさぞ心配したでしょうね。
今だったら気にならないことが昔の私は異常に気にしていたようです。
楽しかった思い出は、ロンドンの中心地で観光できたこと。野生のリスを見れたこと。イギリスの食べ物はマズイという噂が本当だと知ったこと。美味しいジェラートを食べたことかな(笑)
社会人になって解明した謎
ロンドンには6月中旬ぐらいに行ったのですが、日差しが暑いいもあり車で出かける際はクーラーをつけていました。
不思議だったのは、クーラーをつけているのに窓を全開にあけること。
イギリス人の習慣なのか?と思って、そんなに仲良くもなかったのでそこ話題には触れずにいました。
その謎は大学生の時に解明されました。
大学の友達同士で遊びまわった後、友達のお姉さんが私たちを車で迎えに来てくれました。
車に乗り込み走り出してすぐ、お姉さんが咳き込んだり鼻をすすったり鼻を押さえるような仕草。あぁ~くさいんだ、とすぐに気づきました。
次の瞬間お姉さんが窓を開けました。外は暑いのに。
それに気づいた友人(妹)は「お姉ちゃんやめてよ!」と注意をして窓を閉めさせました。
友人は私がワキガで悩んでいることを知っていたので配慮してくれました。
そしてふっと、以前もこんなシーンがどこかであったような・・・。
あ⁉ロンドンにホームステイした時だ!
おそらく、ホストファミリーがクーラーをつけて窓を全開にしているは車内に私のワキガ臭が充満していたからか~!
暑くてクーラーはつけるけど、ワキガ臭を車内に充満させないように換気をしていた。
考えすぎとも言われそうだけど、手術をしておらず成長期の私の脇は相当くさかったはず。
可能性は高い。
国際交流会館でさまざまな国籍と年代に触れ合う
帰国してから、ホストファミリーは嫌いになったけど英語学習は嫌いになりませんでした。
そこで繁華街を抜けたところにある、国際交流館の英語教室に通いました。
会館は日本に住む外国人が日本になじめるようにサポートする場所のようでした。
会館では異文化交流やバザーや世界各国のランチを提供していました。
ランチは日替わりでスリランカ、パキスタン、インド、ベトナム、ロシア・・・など、食べたことのない味ばかりでした。
授業の後、先生を囲んでランチを取るのがその教室の流れでした。生徒は私以外、全員大人。主婦、定年退職者、OL。
それぞれの年代や立場の人の話が聞ける貴重な場所でした。
国際交流会館ではゲームや運動のクラブ活動も行われており、私はバトミントンクラブに参加していました。
ワキガなのに積極的ですよね(笑)
顔見知りも増えて楽しかった。ここでは汗をかきまくりました。
むちゃくちゃくさかったはずなのに、みんな快く受け入れてくれました。いじめられたことはありませんでした。
しかし、クラブの後で東南アジア系の大学生たちに外国語でヤジを飛ばされたことは何度かありました。
大学入試に向けて
学校では3年生になって仲の良いAちゃんはアルバイトが忙しくて、あまり学校に来なくなりっました。
上京するお金を貯めていたのでしょう。
そのせいもあり、私も学校に行く気が薄れ単位ギリギリを計算しながら出席していました。途中で帰ることも増えました。
夏を過ぎたあたりだったか、進学希望者対象に面接や論文の対策練習が始まりました。
私は英語の勉強がしたくて私立の大学を目指すことにしました。
推薦入学ができるように、特訓しました。家で全身が写る鏡の前に椅子を置いて表情やしゃべり方を研究しました。
進学指導の先生には何度も何度もダメ出しをされました。それが悔しかったので、めげずに練習しました。
その成果もあってか、ある練習の時に生徒の前で手本として面接の動きを見せることになりました。
終わってから先生に「お前はよく成長した。今、別で教員を目指す社会人にも面接を教えているけど、お前の方がよくできてる。」という言葉をもらったときは嬉しかった。
大学入試試験
推薦試験だったので、面接と論文だけでした(たぶん)面接は手ごたえがあって論文もいつも通りに書けました。
大学の近くのバス停で興奮を抑えられず母に試験が無事に終わったことを電話で報告したのを覚えています。
そして、大学より合格通知をいただきました。
これで次の道ができました。
高校卒業
式自体は覚えていません(笑)式に母が来てくれました。母に仲良しの子を紹介したり、友達と写真撮影をしたり楽しかった。
入学した当初、卒業を想像できませんでした。この日を迎えられて幸せでした。
まとめ
高校3年間、ワキガの手術はしていないのに、いじめられることは1度もありませんでした。
におい対策として具体的に何かしたわけでもないのに・・・。
みんなからクサイと言われなかったので、一般的な対策しかしませんでした。
ここにきている生徒は高校生でしたがそういう部分では、みんな大人でした。
互いがそれぞれの事情を抱えていることを理解し、それを受け入れていました。人を傷つけることはしませんでした。
私は友人たちにワキガでイジメられたことを打ち明けたかどうかは覚えていません。AちゃんとNちゃんには事情を話した気がします。
卒業する頃には謎の腹痛も対人恐怖症もほぼ解消しました。
この学校で私の心は癒されました。