大学生時代①

大学生時代

通信制高校を卒業して4年大学へ入学しました。

大学4年間は楽しいこともツライことも色んなことがありました。

では、ドキドキの大学生活。

1年生からご紹介したいと思います。

大学生生活がはじまる

大学には普通高校から来た子しかいません。

無事に学校生活が送れるのか、不安しかありませんでした。

月に2回しか登校していなかった私が、毎日登校する生活。

果たして4年間、無事に卒業までたどり着けるのか。先が見えませんでした。

通学の手段

大学に入学してから1か月間ぐらいは、公共交通機関を使っての通学は精神的にもハードすぎるので、母が学校まで送ってくれました。

母はそこまで運転が得意ではなかったので、家から離れた大学まで必死に運転してくれました。

1か月後大学に慣れたころから公共交通機関を使って通いました。

大学が遠くて通学が大変でした。

まず、母の車で駅→電車→違う電車→スクールバス→学校到着。

乗り換えがスムーズいけば1時間半、長いときで2時間かかることもありました。

電車もバスも通勤通学で満員。人が近くてビクビクしていました。

2~3週間後、時間がかかるし大変だからということで、母の車をかりて通学するようになりました。

入学してすぐ

入学して数日のオリエンテーションには何とか時間をやり過ごすことができました。

数日経ってクラスの名前順で近い子で友達ができました。

やっぱ席の前後左右が仲良くなりやすいですね。はじめは手探り。毎日毎日新しいことで頭がいっぱいでした。

授業はレベルに合わせてクラスが振り分けられていました。

通信高校出身だったので、きっとレベルが1番下なんだろうと思っていたら、なんとほとんど上のレベルのクラスでした。

この時に、思いました。学校に行かなくても勉強はできる。

イジメがはじまる

気温が高くなると、ついにはじまりました。

「あいつ、クサイ」「ヤバい」と噂されるようになりました。

また、あの中学生の時のツライ日々を思い出しました。

高校生活でワキガ臭を指摘されなかったので自分がワキガだということを完全に忘れていました(笑)

体育の時間ニオイがきつくて他の生徒から避けられ、体育の先生には他の生徒とは違う扱いをされて苦しかった。

この先生は無視されたり私だけ適当な態度をとられました。

どの授業でもいろいろ陰口を言われました。

車で通学する前は電車内で「くさい」と言われることが多々あり、公共交通機関を使いたくないと思っていました。

中学生の時のようなひどいいじめはありませんでしたが、悩みました。

意を決して、心を許した友人に相談しました。

しかし、「くさくないよ」と答えてくれました。この子は私が傷つくと思ってか、本当のこと言ってくれませんでした。

仲の良くしている子でさえ、私の横の席には座らずに1つ空けて離れて座られたりしました。

大学生活始まったばかり、休みたいけど休めない。入学したばかりで不登校になるなんて考えられませんでした。

なんとか必死に通いました。

高校生になってやっと立ち直ったのに、また振出しに戻ったようでした。

カウンセリングを受ける

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状況をどうすることもできず、陰口に耐えられなくなりました。

そして、学校に行きたくなくなりました。

このおかしくなりそうな精神状態をどうにかしたくて、クリニックにカウンセリングを受けに行きました。

カウンセリングの先生は「私もワキガなの―」と同じ悩みを抱えていると打ち明けてくれしました。

しかし、その先生は全くの無臭。私には患者に同調する一種の治療法にしか取れずに、まったく先生を信用できませんでした。

結局、数回通って行かなくなりました。

その時に先生からこの田舎町でワキガの手術ができる病院が2件ある。と聞きました。

迷うことなく手術を受けることにしました。

どうして今まで受けなかったの?と疑問に感じますよね。

確かに、ワキガの手術は子供の時に受けることが出来ます。

ただし成長期に手術をしてアポクリン汗腺を除去しても、成長過程でアポクリン汗腺が再生する可能性が高いからです。

それで、成長期を過ぎてから手術はしなさいと言われていました。

やっと時が来ました!

田舎町の形成外科

病院選びは失敗でした。

結果、ここでの手術は再発しましたが、ワキガ専門の病院で手術を受けるべきでした。

理由はこの形成外科の医者がただのエロじじいだったからです。

手術は脇なので当然、上半身裸になります。

手術台にあおむけになったら看護師さんが胸を隠すように布をかけてくれました。

医者が来て脇に麻酔を打ったら、次に脇を消毒を始めました。

すると、ガッと胸に掛けてくれたタオルを全部はずし、消毒液を胸までどんどん塗り始めました。

(なんと、2か所目のクリニックでは胸のタオルははずしませんでした!むしろ、胸のタオルはずれないように押さえてくれていました。軽くずらすぐらいで、取る必要なんてありません!)

そして、私の胸を見るなり

医者『あなた、高校生だったっけ?』

・・・て。それって私の胸が小さいって言いたいんじゃないの。(ま。実際に痩せていて胸が無かったので、幼くみられてもしょうがないですが)

「いえ、大学生で、近くの○○大学に通っています」

医者『よく行くお店に大学生で働いている女の子達がいるんだけど、○○大学の子って夜の仕事してる子多いよね~』と言ってきました。

・・・なんてデリカシーの無い医者なんだ。

緊張していて手術の記憶はないのに。この事だけはしっかり覚えていました(笑)

手術後の経過も特に問題はなかったと思います。

記憶にあるのは、両脇を1度に手術をしたので体育の授業を2回見学したことかな。

大っ嫌いな体育の先生にワキガ手術を受けたので見学をお願いしますと、理由を話しに行くのがなんとも言えなかった。

悔しかった。やっぱりみたいな空気も嫌だった。

あの人は私を人として扱ってくれなかったことは一生忘れない。

術後、はっちゃける!

手術後はにおわない体を手に入れた私は自信がつきました。

積極的に人と関わりました。そして仲の良しグループが出来ました。

やっと普通の学生生活を手に入れました。

自分の欲しかった生活でした。

1年生の秋ぐらいから、お小遣い欲しさに近所の居酒屋でバイトを始めました。

ジャズ好きのマスターがいる地元ではオシャレなダイニング居酒屋でした。

そこでは、自分と同じぐらいの年の子たちと働きました。

金土日は忙しくサークルのような楽しさで、協力し合いながら働いてみんな仲良しでした。

バイトメンバーとは社会人になってからも連絡を取り合って酒を飲んでいました。

仕事は週3~5回で、18:00~夜遅くまで働くこともあって深夜を回ることもありました。

それでもバイト終わりにラーメンを食べに行ったり、夜景を見に行ったり遊びまわっていました。

大学の友達とも、夜遅くまで遊んでオールなんて当たり前。授業中に睡眠をとっていました(笑)

家に帰らず友人宅に泊まって飲み会。

当時はエネルギーを持て余してて、消費しても消費しても物足りないような感覚でした。

手術後は今までできなかったことのうっぷんを晴らすように、大学もバイトも思いっきり楽しんでいました。

結局、手術は4年後に再発しましたが手術のおかげで楽しい大学生活を過ごせたので、一歩踏み出して良かったと思います。